捜索活動51日間を支えた
         「連携の和」と「努力の継続」

 遭難者捜索の概略経過

  2010年2月4日に発生した猿毛岳の公的機関の遭難者捜索は3月7日に終了する。

  その後継続して地元集落の消防団長を努め山経験もあり猿毛岳の地形を知る皆川さんを
  中心にして連絡をしながら数名で捜索活動を進める事にする。

  何とか早く見つけ出してやりたいとの思いで、加茂山岳会と相談し2月11日大捜索を
  計画実行するが、雪が多く発見には至らず。

  第2回の大捜索活動の打ち合わせにNPO法人救助犬協会新潟も加わって貰い、ようやく
  組織的な連携が出来る形になる。
  この打ち合わせ以降私等のグループもその連携の一員として捜索活動を進める。

  第2回目は雪解けも進みNPO法人救助犬協会新潟も加わり、今度こそはとの意気込みで
  3月6日7日に第2回の大捜索を二日間の日程で行う。


   尾根筋の雪は融け始めたが、沢や旧スキー場及び林道周辺は雪がまだ多く遭難者発見は
  この日も出来なかった。

  何とか見つかるのではと考えていたが、簡単に発見出来ないと気持ちを切り替え一層気
  を引き締めて捜索に当たる決意をする。

  その間、有志にて奥さんも交え雪解けが進んだ尾根や沢を真剣に捜索するが残念ながら
  見つけ出せないまま日が進んで行く。

  雪解けを待ち草木の芽が出る前の3月27日に大捜索を行う事として猿毛集落センター
  から旧スキー場ロッジ横に現地に捜索本部を設置し発見に全力を尽くす事とする。


   第3回の大捜索も大半のグループが割り当ての捜索個所を終了し、万事休する雰囲気の
  中,13時07分
「遭難者を発見!」との通報で51日目でようやく遭難者を確認する。

  捜索者の大半が小高い丘の捜索本部を設置した旧ロッジ前に待機していた時の通報にて、
  待機していた捜索者は自然に出た拍手と涙が交叉した劇的瞬間であった。

  捜索延べ人数は700人(再計算にて先回発表を修正)を越え怪我人も一人も出す事無く
  51日間の捜索活動を終える事が出来た。

  振り返ると歴史に残る大捜索になると思われるが、あってはならない遭難である。
                              
3月27日の遭難者発見に至る記事


 捜索活動を支えた猿毛集落の住民

  猿毛集落は、捜索活動に使用する集会所の使用は無料とする決議をして協力態勢を作って
  くれた。


  集落の役員始め住民は里山として猿毛岳に昔から関ってきた地形や迷いの体験情報を中心
  となる皆川さん
(隊長)に日々提供してくれた。
  その情報と支えは捜索活動を進めるに重要な励みと活力になった。


 困難な所は加茂山岳会で

  加茂山岳会は、新潟県で一番古い歴史を持つ山岳会と聞いている。
  粟ヶ岳の遭難捜索は何十回もの経験はあるが、猿毛岳の捜索活動は初めてという。

   その始めての捜索活動が最長となったのも初めてと推察する。
  今回の捜索活動では、困難な場所を随時お願いしたが、そのヶ所は独自行動的に活動して
  くれて安心をしてお任
せする事が出来た。


 NPO法人救助犬協会新潟の活躍

  雪解けが進んだ第2回の大捜索から「NPO法人救助犬協会新潟」が参加してくれた。
 
 私はこの組織がある事を今回初めて知る事が出来て今回の捜索に参加頂き大きな厚みを増
  した捜索活動が出来たと思っている。

  幸いにも理事長は地元加茂の堀内医院の院長で夫婦で仲間の柏崎、上越、長野、奈良県か
  らの救助犬の応援も受けて大捜索に活動をあわせ、他の日
も自主的に捜索活動を展開して
  くれていた。


  雪のある時の犬の行動も抜かるむ中を活躍、雪が消えた所は泥にまみれながら捜索に駆け
  回った救助犬の活躍にも敬意を表したい。


          *「NPO法人救助犬協会新潟」のホームページは赤文字をクリック


 遭難捜索活動に参加して低体温症の知識を得る

  救助犬にて捜索活動をされた堀内先生からトムラウシ岳遭難も例上げ、低体温症の話を聞
  くことが出来た。


  よって、2月4日の夕方からの吹雪で遭難者は低体温症に陥ったと考えられ、低体温症に
  なると動けなくなり幻覚症状も出
るとの話も参加者は知識として身につけることが出来た。

  私も含めてリーダーはそう遠くない所に居ると確信しながら捜索活動を続ける事が出来た。

  捜索活動に参加された人はあらためて知識として身に付け今後の山に登る装備の重要性を
  再認識された事と思う。



 遭難者和田さんの職場・職員とOBの活躍

  運良く地元加茂に遭難者和田さんと一緒に仕事をしていたとして川瀬さんが始めから捜索
  活動に参加されていた。


  遭難者和田さんの勤めは、北越銀行でOBの川瀬さんが連絡窓口になり
大捜索には現役の
  職員も参加し易く、OBの山岳会も平日
の活動も連絡を取り合い雨の日も猿毛岳に入って
  くれた。

  3回目の遭難捜索を募ったら山経験の無い人達も希望して38人の人達が捜索活動に参加
  をしてくれた。


  その中の経験の少ない人達を川瀬さんが引率して旧村松町の平ノ堤方向に向う途中、林道
  遙か下で眠る同僚の遭難者和田さんを発見した。

  毎回捜索現場に職員と訪れていた北銀の営業本部長と告別式を終えてお斎の席で会話する
  機会があった。

  27日の捜索の参加を募ったらパート職員からも捜索参加の申し入れがあったと言われ、
  業務を越えて一人の職員を見つけてやりたいという強い空気が職場の中にあったと伺った。

  この話を聞いて、捜索活動も大変だったと思うが、仕事を超えた経験が今後の人生や職場
  の中にも生かされると思った。


 
同年生の活躍

  和田さん夫婦の同年生も捜索活動に参加され、男性は毎回同じような個所を担当し丁寧に
  捜索を展開し、女性は賄いに回り全体の
捜索活動の支えをしてくれていた。

  結束のある同年会であると思い、若い同年生もこの活動は掛け替えの無い体験になると私
  は確信している。


   奥さんの同年生は知事とも同年であり遭難者の行方を心配されていたそうである。


 県警のヘリコブター出動も励みに

  公的機関の捜索は終了したが、県警は捜索終了後も時々猿毛岳にヘリコブターを出動して
  上空から低空飛行で捜索をしてくれた。


  この時は任意で僅かな人数の捜索者であったが、遭難者家族はもとより、捜索者も県警が
  ヘリコブターを飛ばしてくれているとい
ると思うと長引き困難な捜索を継続するに大きな
  励みとなった。


 町内会も出動
   第3回の大捜索に遭難者の町内会が有志を募り参加した。

   長引く捜索活動に町内の中から有志を募り捜索の応援を出したら、との声が町内会長の所に入り、
   町内会長は町内に回覧を回し捜索の参加を呼びかけ13名の人達が捜索に駆けつけてくれた。


 遭難者和田さんの奥さんの活動も刺激に

  遭難者和田さんの奥さんは晴れ間を見てスコップを持参し猿毛岳に入り雪堀をする姿を時
  として目にした。

  私等は一人で入山しないでとお願いしたが、一緒に行動出来る時は極力連絡取って行動を
  させて貰った。


  また奥さんの職場である中村医院の先生は奥さんの心情を察して全面的に休みを提供して
  くれていた。

  また職員・看護師仲間も空いた仕事を分担されて共に支えてくれた事も私等には見えない
  環境と応援になっていたと思っている。



 ネット情報と山仲間の結集

  私は2月5日に猿毛岳遭難事故の記事を新聞で読み捜索本部に顔を出してブログで発信を
  し、翌6日から私等夫婦は吹雪の猿毛岳に登り捜索に参加させて貰った。


  2月8日に地元の友達から捜索に参加をしたいと電話がある。
  いっちゃんからも休みなので捜索に加わりたいと掛け付け、集会所前で双眼鏡を持参して
  猿毛岳を
見上げていた奥さんも加えて8人で猿毛岳に登った。

   数年前猿毛岳で知り合ったぽぽさんが猿毛岳遭難を迷った可能性の方向を記事にしてくれた。

   そして同じ8日に猿毛岳に登った事を知り次回に調査と捜索登山の同行をお願いし以降何回も一緒に
   猿毛岳に入らせて貰った。

   私もその都度猿毛岳に登った状況をネットで発信させて貰った。
  いっちゃんもブログでネット発信してくれた。

  
またぽぽさんも随時猿毛岳に登り状況を発信され、時々友達と一緒に猿毛岳に入り私も同
  行して勇気付けられた。


  1月19日に猿毛岳下山途中で会話を交わし、初対面であった駒の会のoruzasuさんも捜索
  に参加されてブログに発信された。


  ネットの山仲間や初めての人も自発的に捜索に加わりブログやホームページを開設してい
  る人達も記事
にして発信され猿毛岳の遭難捜索のネット情報は豊富となった。

  和田さんの近所のGさんも自分の休日には猿毛岳に入り献身的な捜索を続けてくれていた。

  他にも黙々と猿毛岳に登り捜索をされた人もいることから、私のブログ記事の発信も極力
  憶測を控え、集落の人の参考意見と今迄の
捜索の延長での捜索と情報も正確と慎重を期す
  事に心がけて発信して来た。

  ネットを通じて個人で捜索に参加を希望頂き県外や県内各地からの応援参加を頂いた。
  しかもメンバーは地域の山リーダーの人の顔もあり、初心者もありで遭難者を見つける手伝
  いをしたいという強い思いは、私にとってはこの事も大きな励みとなった。

   また、黒崎山の会が会として参加を頂き、グループなごみのメンバーからもそして駒の会
  の会山行ではリーダーのoruzasuさんから周辺の目配りの伝令を出しての登山にも感謝申し
  上げます。


  合せて27日の捜索活動には私のグループは全体として厳しい沢の個所を受け持つ事にな
  りましたが、それぞれ参加された30人のみなさんからは快く引受けて頂き難儀な捜索活
  動をお願いをしました。


  その後、遭難者発見の情報で私は現場に急行し、みなさんにお礼の挨拶が
出来なかった事
  をお許し下さい。



  ネット情報が家族の支えにも

  和田さんの家族はネット情報を随時入手されていたという。
  猿毛岳の状況と捜索者の活動を随時知ることが出来て大変良かったと話してくれた。


  家族のみなさんも、51日間の心労は計り知れなかったとと思うが、猿毛岳に入山しての
  捜索ネット情報が少しでも心の支えになっていたと思うと、それなりの役割を果たしてい
  た事を考えると家族への情報源としても有効であったと思った。


  捜索活動が実を結び学んだ事

  51日間という短くて長い捜索活動を支えて来た要因を振り向いて考えるに、私の結論は、
  「何とか探してやろう!」と思う一心で捜索活動に参加した団体と個人の信頼に基づい
  た「連携の和」があり、諦めずに頑張った「努力の継続」が遭難者発見という実を結んだ
  ものと思っている。


   今回の遭難捜索活動を通じて私達は、山の教訓として生きた活動と体験をさせて貰う事が
  出来ました。

  終りに私やネットと山仲間の繋がりで今回の捜索活動を共にしてくれた仲間の皆
さん、そ
  して、ブログ記事を読んで応援してくれたみなさんに心から御礼を申し上げ猿毛岳情報の
  綴じとさせて頂きます。
 
  遭難された和田さんのご冥福とご家族のご多幸を心からお祈り申し上げます。

                                 合 掌




                  *今回で猿毛岳情報を終りとさせて頂きますが、もし必要が生じる事が
                     あったら記事とさせて頂きます。

                                                         2010年4月