干支の申年にあたり
                     猿毛岳(山)の由来考


  私の猿毛山(岳)の思い出
    猿毛岳は、地域の人達は猿毛山と呼び親しむ人が多い。
    私が小学校1年か2年生の時、猿毛集落の山王様(日吉神社)に遠足に出掛けた思い出がある。
    猿毛集落の神社は猿毛の権現様とも呼ばれているようで、三社が祀られているとも聞かされた事もある。

    30年程前の2月か3月であっただろうか積雪期にカンジキを付けて猿毛岳に登り隣の小貫(こつなぎ)集落迄歩い
    た事もあった。
    平成3年(1993年)頃、加茂市は新潟県の補助事業で猿毛集落を中心とした地主の協力で猿毛岳ハイキングコー
    スがつくられた。(山頂までの9/19/9は山頂迄の標識は標柱の数であり、通常標識の山の高さや距離と違う)

  猿毛岳(山)との関わり
    2010年2月4日、猿毛岳に登り帰らない人が居ると翌朝の新聞を見て遭難者の捜索活動に参加し捜索開始から
    51日目に遭難者を発見。
    翌2011年の2月頃猿毛岳に山小屋を造りたいと声を掛けられ、4月から作業を開始、6月初旬に完成する。
    猿毛岳に深い関わりを持つようになったのは猿毛岳の遭難捜索猿毛小屋つくりからとなる。
    そんな事から兼ねて猿毛岳(山)の由来を知りたいと興味を持ち始めた。

  由来のひも解く切っ掛け
    3年前加茂市立図書館に資料を探すと、加茂の史跡研究で知られた横山旭三郎氏が編纂された「加茂町の歴史
    口碑伝説編」
(昭和27年10月1日発行)の資料を見つけ、その中に猿毛山(岳)の由来が4行綴られていた。
    元来勉強嫌いで浅学非才の私にはそこに書かれている文言を読み取る事が出来づに今迄放置していた。

    1月10日発売の山と渓谷社の山の雑誌・ワンダ-フォーゲルに申年にあたり干支の山を紹介欄に猿毛岳も掲載す
    るとの電話を昨年末に頂き、早速発売日の今日本屋で買い求めて来た。

    本を開くと全国の干支に関する山が列挙され、地図案内入りで紹介された全国数ある干支の山の中から選ばれた
    10座の最初に猿毛岳が紹介されていた。
    そして、他の県の紹介された山で愛知県の「猿投山」と由来に目が止まり、猿毛岳(山)由来解明のヒントとなった。

    横山氏が編纂した加茂町歴史資料の地名考・伝説の項に猿毛山(岳)について次のように記されている。
      猿投山につくるといわれる。猿投げとは古語で鐸(さなぎ)で鐘であり、社会の木鐸となる等の言葉に使う。
      此山形、馬鐸に似たる為の名称なりという。
三河の国に同じ名前の山がある。―(大日本地名辞書)
      別に猿懸山の意味から出たとも言われている。さるかけいばらの多い山から出たとも言われている。
      またアイヌ語との説もある。
 *原文の赤字は筆者の私が付けた

       結論から猿毛山(岳)の由来は3つあるが、どれが定説か定かでない言う事のようである。
       今回のヒントで私は一番最初の「猿投山」から「猿毛山」にとの説を取りたいと思った。

    そのヒントは、横山氏の資料に三河の国に同じ名前の山がある。と記され、今回発行されたワンダ-フォーゲルにて
    干支の山で愛知県(三河の国)猿投山の紹介欄に「猿投は当て字で、もともと『鐸(さなぎ)(古代に祭式で
    使われた大きな鈴からきている」等の諸説がある。
との文言が横山旭三郎氏編纂の猿毛山由来の共通文言
    大きなヒントとなった。

    「大きな」は横山氏の言う「鐘」と同義語と解釈出来るし、もう一つのヒントは、保坂真一氏のHP「新潟百山百色」
    に「猿毛岳」は別名「猿投山」とある事から猿毛山(岳)の由来は由来元鐸(さなぎ)から来ていると私なりに
    解釈したいと思った。

    私の解釈が正しいかどうかは解らないが、私が疑問とした猿毛山(岳)の由来の解明が「ワンダーフォーゲル」の記事
    により私なりに納得する解釈・解明に繋がった。

    三河の国(愛知県)に美濃加茂があり、思いつきで我住む加茂とはゆかりは無いと思うが、干支の山「猿」に縁があり
    不思議と身近に感じた。

                                                      2016年1月10日 まこと 記