1960年(昭35年)~1968年(昭43年)
過去のアルバムより画像と記録を辿り抜粋整理する。
独身時代の山① 独身時代の山② |
独身時代の山③ 独身時代の山④ (飯豊連峰①) (飯豊連峰②) |
飯豊集中登山 飯豊集中登山資料 二王子岳山スキーツアー |
年/月 | 日 | 山 名 | 天気 | 登頂者 | 適 用 |
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7 | 粟 ヶ 岳 | 快晴 | 7人 | 初めての登山であった。前日ニコニコ庵に泊まり、裏側コース~粟ヶ岳に 今このコースは廃道。この時、登山はもうしなくて良いとの思いだった。 |
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3 | 五頭山~菱ヶ岳 | 晴 | 7人 | 懲りた粟ヶ岳を毎日のように眺めると、何時か又登りたいと思い始める。 五頭山に誘われ、菱ヶ岳まで縦走する。満足感から登山にはまる。 |
5 | 粟 ヶ 岳 | 雨 | nico 山岳部 |
菱ヶ岳登山の後、今振り返ると早速この頃山岳部に入部する。入部して 最初が 粟ヶ岳登山で、雨でも苦にならず。登山回数がこの辺から増える。 |
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7 | 粟 ヶ 岳 | 快晴 | 相田・ま | 高校の友達とも登り始めるが、この頃各会社・職場でも山岳会があった。 | |
22 | 守 門 岳 | 快晴 | 千野・ま | 21日は保久礼小屋で前泊、土砂降りの雨、22日は晴れ | |
8 | 6~7 | 苗 場 山 | 晴 | 藤・川・牛有・ま | 和田小屋コース~登る。頂上の広さに驚きながら、頂上にテントを張る。 この時のリーダーが、魚沼出身者の藤ノ木で高校卒業以来会っていない。 |
雨 | |||||
11 | 3 | 谷 川 岳 | 晴 | 相・川・牛有・ま | 初めての谷川岳、岩剛新道を登るつもりが間違えて、東尾根に登る。 藪を越えて一の倉沢に出る。今考えると無知の無謀登山であった。 |
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16 | 焼 峰 | 小雪/晴 | nico 山岳部 |
15日成人の日を終えて、先発を追っかけテントに辿り着き翌朝頂上を 目指す。頂上は、宮島・石附・私の3人と記されてあった。 |
17 | 晴/雪 | ||||
3 | 25 | 粟 ヶ 岳 | 晴 | 牛・相・ま | 交通手段はバスか汽車。近くで手頃な粟ヶ岳であった。 |
4 | 15 | 五 頭 山 | 晴 | 牛・ま | 五頭山・五の峰に登る。 |
22 | 宝 蔵 山 | 晴 | 千・矢・ま | 前日宝蔵ヒュッテに泊り3人でかなり酒を飲み千野氏は二日酔い。 | |
5 | 3~6 | 飯豊連峰 川入・本山・北俣岳 |
晴 | nico 山岳部 小・宮・轡 吉・金・石 ま |
まったくこの登山は、記憶から去っていた。アルバムと記録を見て思いが うっすら蘇る。登りと下山が晴れて稜線歩きは雨模様でこの頃の装備を 考えると当時の若さを感じる。 その時の雨天の稜線辛かったのだろうが、その記憶はまったくないので 今思うほど辛くなかったのかも知れない。 |
雨・風強 | |||||
雨 | |||||
快晴 | |||||
9 | 2 | 谷 川 岳 | 曇 | 戸・ま | 枕元に登山の本があり、何時も眠る前に本を開き山に耽っていた。 この頃は谷川岳が人気の山で、職場の戸田さんと谷川岳に登る。 |
27 | 八 海 山 | 晴 | 単独 | 夜行で出かけて、山崎から登り途中登山道で仮眠した思い出がある。 当時は、スキー場はなかったので、下山は鎖の城内口に下山した。 |
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11 | 3 | 妙 高 山 | 雨 | 牛・相・ま | 雪が降ってもと、ワカンジキを担いで登る。最後の登りの辛さの思い出。 |
4 | 雨 | ||||
28 | 粟 ヶ 岳 | 晴 | 単独 | 朝通勤で家を出ると粟ヶ岳が白くなっていた。居た溜まれず休暇でを 取り、自転車で粟ヶ岳に登る。避難小屋で30cmの記憶あり。 |
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10 | 宝 蔵 山 | 曇 | ? | スキーを担いで宝蔵山頂上から滑り降りる。 |
21 | 粟 ヶ 岳 | 晴 | 知・ま | 興国・知野さんと加茂水源地から下田に下山する。 | |
28 | 飯豊連峰 石転沢~ 大日岳往復 |
晴 | 宮・ま | 急傾斜・雪渓の谷の淵を歩く、丸木一本の釣橋を渡って温身平に泊る。 | |
29 | 晴 | 晴天の石転沢を登る。休憩中に後からブロック雪崩がある。 | |||
30 | 濃 霧 | 霧雨・強いガスで梅花皮小屋で停泊する。 | |||
5 | 1 | 濃 霧 | この日も停泊、風邪を引いて寒気の後熱が出る。熱が出ると治る体質。 | ||
2 | 晴-曇 | 朝起きると石転沢はびっしり雲海そしてご来光見る。快適な雪上歩きで 大日岳迄往復し下山し、温身平東電小屋で泊る |
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3 | 快晴 | 温身平~長者ヶ原迄歩き、バスで小国駅迄、そして帰宅する。 | |||
7 | 14 | 谷川岳・蓬峠 | 晴-曇 | 単独 | この頃の谷川岳登山は夜行日帰り。茂倉・武能岳・蓬・清水峠を下る。 画像は無いのでアルバムには記録されていないが、この頃谷川岳~ 茂倉岳にも下山している。 |
28 | 唐松岳~白馬岳 | 晴-曇 | 牛・ま | 唐松岳頂上でテント泊をする。夜、風で木のポールが折れる。 | |
29 | 晴-曇 | 不帰のキレットをキスリングを担いで降りる。怖さの記憶まったく無い。 天狗の登りの大変さも記憶に無いので、やはり若く体力有で怖さ無し! |
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30 | 晴/曇 | 白馬岳でテント泊、大雪渓を下る。 | |||
8 | 14 | 燕岳~槍ヶ岳 | 晴 | 牛・ま | この頃、体力・脚力の強さから、縦走の辛さの記憶は残っていない。 |
15 | 晴 | 燕山荘泊り、大天井岳~槍ヶ岳に。槍ヶ岳山荘に泊るが、寿司詰で これ以降アルプスは厭になる。 |
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16 | 曇 | 槍沢を下山、草津温泉のひなびた旅館で泊る。もう一度泊まりたい旅館。 | |||
17 | 晴 | 松本城を見学して帰る。 | |||
9 | 7 | 谷川・白毛門 ~巻機山縦走 |
曇 | 単独 | 柴藪・草原・笹原と変化に富んだ“道なき道”に等しい縦走路を進む。 柴につかえては転び時には笹や草に滑って転び、道に迷い必死で戻る。 巻機山手前の草付きで柴の陰でビバークする。疲れて6時に眠り朝6時 に起床。巻機山で人影が見えた時、難路を踏破した満足感に浸った。 |
8 | 曇/晴 | ||||
10 | 13 | 御神楽岳 | 快晴 | 単独 | 前日、湯沢の出合いのぜんまい小屋で泊まり、御神楽岳一周する。 現在は、一周登山路は無い。 |
s393 | 28 | 二王子岳・滑降 | 晴 | 五・渡・ま | 二王子岳滑降大会に参加する。 今も滑降大会はあるのかな? |
4 | 8 | 粟 ヶ 岳 | 晴 | ? | |
8 | 15 | 飯豊連峰 集中登山 |
晴 | 高橋・木津 近藤・関川 五十嵐・森山 横木・轡田 小島・番場 渡辺・田村 西潟 |
三国・大日・石転び・杁差岳からの各隊は、北股岳を目指し登山開始。 |
16 | 晴 | 各隊は北股岳に集結。記念写真を撮り、洗濯平で合同キャンプ。 | |||
17 | 晴 | 全員、オーイン尾根を下山し、湯ノ平温泉に浸りキャンプする。 | |||
18 | 晴 | 湯ノ平温泉から東赤谷駅まで歩いて無事集中登山を終える。 | |||
9~ 11 |
日曜日 | 粟ヶ岳避難小屋 資材荷揚げ |
― | nico 山岳部 |
加茂山岳会が中心で避難小屋を建てる。nico山岳会も空いている休日は 柱やトタンを担いで7合目まで手伝う。完成11月3日。 |
s404 | 4 | 粟 ヶ 岳 | 曇/雪 | nico 山岳部 |
ホワイトアウトで小屋まで、下山時道が解らず、加茂山岳会のベテランの後 に持参したロープを全員が握り、数珠繋ぎで下山する。 |
5 | 2 | 粟 ヶ 岳 | 晴 | 有志で | 晴天で快適登山であった。頂上は連休で賑わう。 |
3 | 粟 ヶ 岳 | 晴 | nico 山岳部 |
連日の粟ヶ岳、山岳部の登山に参加。 | |
昭和41年の1年間は登山が途絶えているが、仕事の他、任務を幾つか持って忙しい時期であった。 | |||||
s425 | 5 | 粟 ヶ 岳 | 晴/曇 | ? | 実質これが独身時代の最後の山。結婚は11月5日。 |
s435 | 5 | 粟 ヶ 岳 | 晴/曇 | ? | 結婚した翌年であったが、これ以降子育てが始まり、登山は休止! |